パンタ「KISS」と岡林信康「セレナーデ」

KISS

KISS

セレナーデ(紙ジャケット仕様)

セレナーデ(紙ジャケット仕様)


岡林信康とパンタ(頭脳警察)は、ともに1970年前後の学生運動が盛んな時期にデビューし、学生運動と親和的なパブリック・イメージをもっている。
フォークの神様、メッセージソングの代表選手とみなされた岡林信康
ラディカルで政治的なイメージのつよいパンタ。
両者とも、デビュー当時のパブリックイメージに収まらない音楽性をもっているが、熱心なファンの多くは、デビュー当時のイメージに惹かれているという共通点もありそう。


1978年に発表された岡林信康の「セレナーデ」、1981年に発表されたパンタの「KISS」は、両者のパブリックイメージとは対極にある純粋なポップス作品。
過激さ・政治性・メッセージ性、これらが好きなファンには不満の残る作品かもしれない。
一方、これらのアルバムを聴けば好きになるだろう潜在的なポップスファンは、岡林信康、パンタの作品だというだけで拒否反応を示し、作品を聴こうともしないかもしれない。
アルバムの良さがわかりそうな人たちには聴かれもせず、岡林、パンタの熱心なファンからは過小評価しかされず、作品の出来の良さにもかかわらず不遇なアルバムといえる。
ただ、熱心なポップスファンがこれらのアルバムを聴いた場合、両方とも、ポップスの作品としてはヴォーカルに魅力・説得力がないと感じるかもしれない。
ポップスの命は、メロディラインの良さとヴォーカルの上手さだと思うが、パンタも岡林も歌の上手さが売りのミュージシャンではないから、ポップスのヴォーカリストとしては弱いかもしれない。

パンタ「KISS」

実は、リアルタイムで聴いたときにはかなり不満の残ったアルバムだった。
といっても、ハードロックでないことが不満だったわけではない。
曲自体はけっこういいのだが、サウンドに不満があった。
同時期に発売された寺尾聡のアルバム「リフレクションズ」の都会的で洗練されたサウンドと比較すると、「KISS」は音がこもったような野暮ったいサウンドに感じた。
それが狙いであったのなら、ただの好みの問題にすぎないが、当時の自分にとっては、メロディ自体はいいのに今ひとつ物足りなさの残るアルバムにすぎなかった。
発売から10年以上たち、寺尾聡の音楽が懐かしのメロディとなり、サウンドの新しさ、洗練さに特に魅力を感じなくなった頃、あらためて「KISS」を聴いてみると、メロディそのものの良さが目立つようになり、時々、思い出したように聴くアルバムとなった。
パンタの癖のあるヴォーカルはポップスとしてはどうか、という気持ちは残っているが。